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2021年6月

2021年6月27日 (日)

殿の信八が『女子を抱く』

殿の信八が『女子を抱く』と言って広間を去りーー残った家臣たちと弟たちはまだ飲んでいた。

 

半分酔いつぶれて寝る者、部屋に帰る者、まだまだ元気で飲む者、酔っぱらって踊る者ーー

 

したたかに飲んだ信継はそれでもまだほろ酔い加減で、風に当たりに広間を出た。

 

廊下の先。そこにひっそりと月を見上げる仁丸がいた。

 

「…仁丸」

 

仁丸はハッと振り返ると、頭を下げた。

 

「…兄上」

 

「寒くないか?」

 

「はい」

 

縁側に信継がドカッと座る。

 

「仁丸も座れ」

 

言われて仁丸も腰を降ろした。

 

「…」

 

「…」

 

しばらく2人で横に並び、月を見上げる。

 

吹雪いた荒川とは違って、ここは月明りが差し込み、空気が澄んでキレイだ。

 

冬の夜のキンと冷え切った空気が、お酒のまわったカラダには心地よかった。

 

「仁丸。桜のこと…話してもいいか」

 

「…」

 

仁丸はグッと歯を食いしばる。

 

それから、絞り出すように言った。

 

「…はい」

 

信継は微笑んで、月だけを見上げる。

 

「…仁丸もやっぱりーー桜が好きか」

 

仁丸は顔を引き締めて答える。

 

「…はい。それはもちろんです」

 

「そうか。

 

俺も桜が好きだ」

 

「…っ」

 

「お前にもゆずる気はない」

 

「…」

 

仁丸は唇を噛みしめる。

 

「仁丸…俺は、桜のことを父上に話す」

 

「…」

 

仁丸はバッと信継を見た。

 

「兄上…それでは…!」

 

信継はフッと笑った。

 

「父上も疑問に思っていたようだ。

 

仁丸の寵姫と俺の思い人は同じなのかと聞かれた」

 

「…っ」

 

「龍虎が戦場に連れた女子が攫われた桜だったことも…それを高島が助け出したことも…いずれは父上の耳に入る。

 

それならば、今言う」

 

「兄上…父上が知れば、桜は…っ」

 

「…知ってもらったうえで、父上にも理解してもらうつもりだ」

 

「桜は父上が恋焦がれた…三鷹の藤紫の娘、ですよ…

あの父上が放っておくわけ」

 

「それでもだ」

 

信継の強い言葉に、仁丸は黙った。

 

「お前ときちんと話しておきたかった。

 

桜はいま、牙蔵の隠れ部屋にいる」

 

「…っ」

 

「この城に代々仕える忍頭だけが知っている場所。

 

その昔、設計者や建設に関わった者も口封じに殺されたと聞く。

 

高島城は増築を繰り返して複雑な形になっているから、桜の居場所は安全だ。

 

もちろん俺も場所は知らない」

 

「…」

 

「父上にきちんと話して、それからだ。

 

仁丸。

 

どちらが桜を振り向かせられるか、今度こそ勝負だ」

 

仁丸は視線を伏せた。

 

「…どうせ…兄上には…適わない」

 

「…仁丸?」

 

「カラダも力も技も人柄も…っ

 

僕は…っ…兄上には何一つ、いっこないんです…!」

 

ふいっと顔を背けて、仁丸は震えていた。

 

「仁丸」

 

信継の声にも、動かない。

 

「それならば、桜は遠慮なくもらい受ける」

 

「…っ」

 

「そんな覚悟のない男に、好きな女子を譲る気はない」

 

「…」

 

信継の冷たい声に、仁丸はギュッと目を閉じた。正座していた詩の前に、牙蔵は持ってきた膳をそっと置く。

 

「本当にありがとうございます」

 

「ん」

 

お膳は1人分だ。

 

「…あの、牙蔵さんは…食べないんですか?」

 

「うん」

 

「………」

 

詩は不思議そうに牙蔵を見た。

何かを飲んだり食べたり、そんな人間らしいところを見たことがない気がする。

 

「…よかったら…一緒に食べませんか…?

 

私が言うのも何ですが…」

 

詩が小さく聞くと、牙蔵は一瞬きょとんとする。

 

それから、ぷっと笑った。

 

「…じゃあ里芋」

 

「…はい!」

 

詩は少し嬉しくなった。

 

「一個ちょうだい」

 

お膳の中の、里芋の煮っ転がし。

 

「どうぞ」

 

お膳越しに、箸を牙蔵の方に向けて差し出すと、牙蔵はひょいと里芋を指でつまんで口に入れた。

 

「…」

 

モグモグと動く口元ーー薄い唇を思わずじっと見る詩に、牙蔵はクスっと微笑む。

 

「ん。うまい」

 

「よかった。

…牙蔵さん、半分こしましょう?」

 

「…」

 

牙蔵は微笑む詩をじっと見つめて、自分の指をペロッと舐めて、それからおもむろに立ち上がった。

 

「…」

 

 

「ちょっと出てくる。

 

お前の褥はあそこ。

 

階段の下降りたら、水使えるとこがある。厠とかも」

 

「…わかりました。

 

何から何まで、ありがとうございます」

 

頭を下げながら、詩は少し寂しくなる。

 

牙蔵の隠れ部屋とはいっても、牙蔵は何かと忙しいらしい。

 

詩は出入り口に向かう牙蔵に頭を下げた。

 

「いってらっしゃいませ。お気をつけて」

 

牙蔵が振り向く。

 

その瞳がほんのわずかチリっと細められてーー詩は目を逸らせなくなってしまった。

 

「…」

 

「…おやすみ」

 

ぼそりと呟かれた言葉が終わらないうちに、風のように牙蔵は出て行く。

 

「…おやすみ…なさい…」

 

ーーいつから、1人を寂しいと思うようになったんだろう?

 

「…」

 

詩はしばらく、牙蔵の出て行った出入り口を見つめていた。

 

 

 

 

「そう、今は牙蔵の部屋に…」

 

緋沙は牙蔵からの報告を受け、ほうっと息を吐きだす。

 

「伊造からも聞きましたが、沖田に捕らえられた桜をーー戦の中、よく無事に助けてくれました」

 

「…」

 

「牙蔵、桜はもう、高島の女子にします」

 

緋沙と牙蔵の目線が絡み合う。

 

「今回のことでよくわかりました…まわりはもう、あの子を『高島の女子』と見ている。

 

高島には敵が多い。今、ここでなければ、どこにも安全な場所はない。

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